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おみたまくらし

小美玉市とモノとコトとストーリー

2022.03.14 UP
#16
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心の玄関口となる駅

まちの灯台 羽鳥駅

羽鳥駅は、その名にちなんで鳥が翼を広げた立体感のある姿をしています。 屋根や階段の手すり、壁面の間接照明が効果的で、「まちの灯台」にふさわしく、夕暮れに浮かび上がります。 1895年(明治28年)に開業して今年で127年。羽鳥駅は姿を変えながら、陸の玄関口として、東口と西口の人の流れをよりスムーズにし、市外からの人の往来も促しています。

今回の記事で紹介するモノ・コト

生田目 美紀
国立大学法人筑波技術大学 産業技術部 教授。大学では、聴覚に障害のある学生に情報デザインを教える。日本デザイン学会副会長。
博士(完成科学)・修士(芸術学)筑波大学。1999年筑波技術短期大学講師を経て2005年筑波技術大学教授。現在に至る。専門分野はユニバーサルデザイン。2011年小美玉市羽鳥駅周辺まちづくり検討委員会委員として羽鳥駅周辺の将来整備計画等に関わる。2018年からJR羽鳥駅東西自由通路北側壁面のデザインに取り組む。

熱気と期待にあふれる現場

2011年から羽鳥駅周辺の将来整備計画に関わらせていただきました。特に羽鳥駅東口拠点整備等検討委員会の検討会議は、羽鳥駅の橋上化によって東口・西口がつながり、日常的に市民が交流できるようになることへの期待で議論が白熱し、会議室の温度が上がっていく感じがしました。
ワークショップでは、市民と行政が協働して多様な人々の憩いの場を作ろうという強い思いを感じました。「家にかえってきたなぁーと安心できるような場を創ろう」という意見が印象に残っています。

モザイクアートに込めた思い

壁面デザインの時に真っ先に浮かんだことは、市民が積極的にまちづくりに関わる姿と、ふるさとに対する愛着と誇りでした。そこで、市民参画によるデザイン開発と施工段階の市民参加を企画。市民参画のデザイン開発のために、コンセプトに関する投票を行い、小美玉市への思いを抽出しました。市民の想いをひとつも取りこぼさないようにデザインすることを目標にしました。コスモス畑・田園・酪農風景・ダイヤモンド筑波・霞ケ浦・飛行場などなど、壁画のどこかに皆様の心に響く小美玉市の情景がきっとあると思います。施工段階での市民参加は小さいタイルを並べて作るモザイクアート技法を採用しました。駅にいらした際には、壁画に近寄っていただき、ひとつひとつの小さなタイルが市民の手によって組まれたということにちょっぴり想いを馳せていただければ幸いです。

駅の存在がまちを活性化

駅は陸の玄関です。東口と西口間の人流だけでなく、市外からの人の往来も促します。それにより文化活動や経済活動が活発になり、まちが活性化します。壁面デザインで表現したように、小美玉市には誇れる地域資源が盛り沢山です。羽鳥駅がまちを活性化させ、手作りの壁画がふるさとにつながる心の玄関口にもなることを願っています。

羽鳥駅に掲げているモザイクアート壁画

霞ヶ浦から望むダイヤモンド筑波
牧場・コスモス畑・茨城空港

暮らしと共にある 羽鳥駅の物語。

茜色の筑波山

昭和30年に嫁いできた頃、駅前には炭や薪がたくさん積み上がり、貨物列車で運搬していました。駅周辺は山林で覆われていて、畑に1人で行くのが怖かったことを覚えています。
駅前商店街は、蕎麦店、青果店、精肉店、鮮魚店、自転車管理場、郵便局など。多様なお店が立ち並び活気がありました。
新しい駅舎の2階から見える、筑波山に夕陽が差し込んで茜色に輝く景色は本当に素晴らしいです。一度皆さんに見ていただきたい、私のお気に入りです。
平成3年に約30年ぶりに復活した羽鳥祭りは、子どもたちが笛や太鼓を演奏する、大切な活躍の場です。新型コロナの影響で2年間開催できていません。新しい駅舎になって初めてのお祭りを、今年こそ開催できることを祈っています。

バリアフリーの実現

以前、大病を患い東京の病院まで電車で通うとき、階段を昇り降りすることができず、大変な思いをしました。その経験から、東平区長に就任した平成19年以降、橋上化によるバリアフリー実現のため、区長会を通じて要望活動を続け、市、JRに働きかけてきました。それから10年以上かかりましたが、ちょうど東平区でも高齢化が進んできたので、エレベーター設置によるバリアフリー化が実現して本当によかったと思います。
私たち周辺住民の散歩コースにもなっています。ベンチでひと休みして電車を眺めるのも、楽しみの一つです。

いつまでも愛される駅に

羽鳥駅踏切近くの東平区東本町は、安全祈願のため毎年7月初旬に踏切のお地蔵さんの供養を行っています。僧侶に頼んで、50年以上も続けています。
旧駅舎は通学で毎日使っていました。中でも駅の伝言掲示板は、当時の連絡手段として活用されていて、誰かが書いたものを「どんな人が誰にあてて書いたんだろう」と想像したりして友達と盛り上がっていました。青春時代の思い出です。
次男は幼い頃電車が好きで、毎日線路まで散歩したのも良い思い出です。
私の人生のそばにいつもある羽鳥駅。これからも地域の皆さんに愛されますように。

タウンジャーナル小美玉 羽鳥駅特集

タウンレポーター 瀧澤比佐乃さん

私は羽鳥駅のすぐ近くで育ちました。時代ごとに変化してきた駅周辺の様子を何かの形にして皆さんに紹介したいと思い、「羽鳥駅の今むかし」(全4回)という記事を書きました。地域の皆さんからたくさんの話を伺い、一緒に記事を作成しています。過去、現在そして未来、このまちに多くの人の思いが寄せられていることを改めて知り、私にとっても貴重な経験となりました。
TJOは、何気ない日常の中に素敵な魅力を発見して発信しています。あちこへ取材に行き、様々な人との出会いがあり心が通う感動があります。これからも、市内の皆さん一人ひとりにスポットライトを当てられるようがんばりたいです。
タウンジャーナル小美玉(TJO):毎週金曜日に発信している超地域密着ウェブメディア。
市民記者が「私のオススメ」を記事化。

タウンジャーナル小美玉の羽鳥駅特集記事ページはこちらから

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