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おみたまくらし

小美玉市とモノとコトとストーリー

2021.12.02 UP
#10
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玉里のレンコン

後継者会の皆さん
後列左から福田さん、山口さん、坂さん、石橋さん、室町さん、橋本さん、斎藤さん 前列左から植田さん、小松さん

小美玉のレンコン

玉里地区のレンコンは、水戸黄門で知られる徳川光圀が、隠居後73歳で死ぬまでの10年間を過ごした西山荘への献上品としても知られています。 光圀が日本で最初に食したと言われるラーメンは、レンコンを粉にして小麦粉と混ぜ、麺を作ってできたもので、来訪した僧侶や家臣にふるまったとの記録もあるそうです。

今回の記事で紹介するモノ・コト

レンコンの魅力を伝えたい

これからの季節、おせちなどにも使われ「先が見える、見通しがきく」縁起物とされるレンコン。茨城県は、レンコンの生産量で全国ダントツの1位を誇ります。その産地は、霞ヶ浦周辺に集中していて、小美玉市も主要な産地の1つです。

玉里地区の広大な蓮田に囲まれたJA新ひたち野玉里集荷所に集まってくれた後継者会の皆さん。
「小さい頃から働く父の姿を見ていましたので、正直、最初は抵抗がありましたよ」
「会社勤めよりも、自分の時間で行動できるし、農家の暮らしが自分にはあっているかも」
「ここで生まれ育ったから、いずれやるもんだって思いは学生のときからありました」
「じいちゃんの実家がレンコン農家でしたから」

始めたきっかけや転機は様々ですが。美味しいレンコンを消費者に食べてもらうために、生産者は努力を惜しみません。
レンコンを折らないよう、傷つけないように注意を払って田んぼに入ります。折れると穴の中に泥が入ってしまい、商品価値が落ちて、売れなくなってしまいます。片手でホースを持ち、水圧でレンコンの周りの土を払い、手探りで掘ります。昔から比べると、手間も減っているそうです。農業は大変だと言われがちですが、新たな農業スタイルとレンコンの魅力を広めるために日々レンコンと向き合っていくと彼らは言います。
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