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2022.07.29 UP
#18
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次の世代へつなぐ 伝統への想い

次の世代へつなぐ 伝統への想い

地域のまつりや年中行事は、古くから私達の日常と非日常のリズムを生み、住む人々に生きる活力を与えてきました。 新型コロナウイルス感染症の拡大により開催が難しい中、次の世代に想いをつなぐ若者の姿がありました。

今回の記事で紹介するモノ・コト

小川の「祗園祭」

小川の祗園祭は1530年頃に園部城主によって始められたと伝えられています。神輿渡御、山車や獅子の巡行があり、賑やかなお囃子も響き渡ります。當家祭などの神事は小美玉市無形民俗文化財に指定されています。

小川坂下青年會會長・大獅子會代表

藤﨑 洋介 さん(39歳)

夏の合図

「小川の祇園」は毎年7月の中旬に開催される素鵞神社の祭礼として多くの人に親しまれています。小学生の頃は夏休みが始まったその日が小川の祇園。2歳の頃から祭りに参加して、太鼓を叩きたい、笛を吹きたい、獅子を振ってみたいという想いを持ちながら、実の兄や近所のお兄さんたちに太鼓を教えてもらいました。練習が進むにつれ、祗園祭への気持ちが盛り上がっていったことを覚えています。
22歳の時に、憧れていた東京に引っ越しましたが、離れている間もときおり地元や祭りに顔を出していました。10年前に地元に帰ってきて、最初は祗園祭への参加に不安もありましたが、昔からの仲間や先輩たちが温かく迎えてくれました。改めて地元の良さ、祗園祭の良さを再確認できました。

初めての試み

令和2年には自分が青年會の會長を努めていた坂下町が年番町になり、九町の青年會で組織する「大獅子會」の代表になりました。例年、大獅子會の会合は祇園祭中に行われる「大獅子パレード」の打ち合わせのみでした。でも、コロナの影響で祗園祭の規模が縮小される中、代表として素鵞神社を盛り上げたいという想いが募り、初めて九町の代表を集めてパレード以外の会合を持ちました。その中で九町の代表たちも自分と同じ想いを持っていることを知りました。
コロナ禍でも素鵞神社での神事は行われていたので、その際に九町の獅子頭を展示することを決めました。素鵞神社の宮司さんと総代長に大獅子會として展示を行いたいことを相談すると「ぜひ、やろう」と背中を押してくれました。代表を務める不安がある中で本当にうれしかったです。

受け継ぐ思いを次の世代へ

息子は1歳の頃からベビーカーに乗って祗園祭に参加しています。獅子が通る場所を散歩すると祭りを思い出して「ここに獅子があるよ」と話してきます。息子のためにも、祗園祭をやりたいという子持ちは大きいです。自分が子供の頃に感じたことや教えてもらったことを次の世代に伝えたいです。
令和3年に初めて行った獅子頭の展示

竹原の「アワアワ祇園」

江戸時代前期に園部川上流で伝染病が流行し、原因だと噂された牛頭天王の御神体の金幣が園部川に流され、竹原村に流れ着き祠を建てて祀りました。御神体が寒さで「アワアワ」と震えていたとの言い伝えから「アワアワ祇園」と名づけられました。

祇園を通して大人を知る

竹原上町青年部役員・子ども会会長

新堀 一彦 さん(40歳)

竹原アワアワ祇園では、5町(上町・横町・仲町・裏町・坂下)で御神輿を回し、上町と坂下の子供会が「子ども獅子」を行っています。自分自身も小学1年生の頃に初めて参加して、小さな太鼓から始まり高学年になると大きな太鼓を叩いていました。当時は子どもがたくさんいて活気がありました。6月に入ると練習が始まり、地域の大人たちに教えてもらい、練習を通して大人たちと顔見知りになっていったのをよく覚えています。

麦のわらを燃やす、非日常感

神様を暖めるために各家の前にある麦藁を燃やすのが竹原アワアワ祇園の特徴です。早すぎず、遅すぎずに燃やすタイミングが大切。藁が燃えさかる中を御神輿が通る様子は非日常感であるれていて好きな場面です。

ふるさとを離れて知った現状

大学進学とともに地元を離れ、28歳の時に家業の仕事を継ぐために地元へ戻り、上町青年部に加入しました。久しぶりの祭りは自分が子供の頃に体験した祭りと違っていて驚きました。御神輿を担ぐ人や子どもが少なかったからです。上町の子ども会だけでは子ども獅子が行うことができず、他の町内に声をかけて子ども会に入ってもらいました。また、子ども獅子を動かす時も上町青年部が協力してくれています。こうした現状に、祭りを続けられるのかという危機感を感じています。

色褪せない体験

コロナ禍により、祭りが開催できていない状況は、子どもたちの中で祭りを体験できない空白の期間ができてしまうということ。祭りは夏の風物詩です。現代の子どもたちには遊ぶツールがたくさんあります。しかし、汗をかいて練習して、当日に向けた高揚感は祭りでしか味わえない体験です。地元に祭りがあることを体験してもらうことが、地域の伝統を次の世代につないでいくために大切だと思います。子どもが少ない状況を変えるのは難しいですが、だからこそ、いつでも始められるような体制にしておくこと、それが今の自分の目標です。
燃やした藁の上を歩く御神輿
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