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2024.03.22 UP
#11
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この地を守りながら、未来を拓く

レンコン栽培で有名な玉里地区を車で走っていくと、霞ヶ浦が目の前に広がった。櫻井さんの自宅周辺には、のどかな風景が広がっている。車を停めて家に向かうと、もうすぐ2歳になる息子さんを抱いた妻の有加さんが笑顔で出迎えてくれた。

櫻井さん夫妻はこの秋、霞ヶ浦のほとりに建つ古民家をリノベーションし、ゲストハウスをオープンする予定だ。18歳まで大阪で育った守さんがなぜこの地にこだわるのか。穏やかな口調で語った。

5人兄弟の末っ子ながら、櫻井家を託される

大阪府堺市で生まれ育った守さんは、大学受験を機に小美玉市玉里地区の父親の生家に移住することになった。兄弟は5人。末っ子だというのに、なぜか家を継ぐのは守さんと決まっていたという。大阪での都会暮らしから一転、18歳から小美玉市での生活が始まった。

大学に入ったのは19歳。筑波大学の第三学群社会工学類を飛び級で卒業し、大学院でMBAを取得。在学中にはアパレル業で起業も経験した。卒業後は金融系に就職。都内の職場まで小美玉市から通った。

「いつかビジネスをしたい」という想いを胸に、社会人として忙しい日々を過ごしていた守さん。その心を動かしたのは東日本大震災だ。「人はいつ何があるかわからない。やりたいことをやろう」という気持ちになったという。その後、守さんは独立。証券アナリストとしての仕事のほか、電気供給業、不動産賃貸業、IT業と幅を広げていった。

不動産賃貸事業を始めたきっかけは、自宅や自宅近くにあった古い建物をリノベーションしたことだという。ボロボロで傷みがひどかった物件を生まれ変わらせ、現在事務所として活用しているほか、築300年を超える納屋にも手を入れた。

「子どもの頃に何度か遊びに来たことがあったんです。都会の団地育ちだったので、広いところや大きな家に憧れがあったんですね。この辺りで育った人にしてみれば、『古くてちょっと…』という感じかもしれませんが、私は『味』があるなと思って。壊すことは頭にはありませんでした」。

事務所や納屋はモダンな雰囲気で、新しい魅力が吹き込まれている。壁紙や建材、インテリアなど、守さんがこだわってディレクションをし、施工はすべて大工さんにお願いしているそうだ。このほかにも戸建てを手掛けるなど、リノベーションした物件の賃貸も行っているという。

「縁」あって引き受けた古民家をゲストハウスに

約1年半前、自宅近くの古民家を縁あって引き受けることになった。愛犬の散歩をしている時、誰も住んでいないのかなと気になっていた古民家だ。「もともと船大工の方が住んでいた家で、造りが立派できれいなんです。窓からは筑波山も見えるんですよ。納屋も広いんです」と案内してくれた。

「この近くに公園もあるんですが、そこからの景色も霞ヶ浦と筑波山が見えて、すごくいいんです。よくサイクリングしている方も見かけますね。夕日が沈む時もきれいなんですよ」。

古民家をどのように活用していくか。地域と共生できる形を求めて、頭を悩ませ模索したという。「この辺りは観光地ではないので、周辺施設がなく集客力もありません。ほかの地域の事例も調べ、差別化できるものは何かと考えました」と図面を広げながら、ゲストハウスに関する計画を話してくれた。

古民家は内装にこだわり、くつろいでもらえる空間づくりを意識しているという。敷地内の納屋はシアタールームにする予定だ。近くにはサウナや鉄板焼きを楽しめる施設も検討している。また、この地を訪れる人と地域の人との「交流の場」としても活用し、餅つき大会や料理教室、レンコン堀り体験、干し芋作り体験などを考えているそうだ。

二拠点生活からの移住と小美玉市の暮らし

守さんが有加さんと結婚したのは2014年。有加さんは子どもを授かったことを機に2021年に小美玉市に移住した。それまでは週末婚のようなかたちで、埼玉県と小美玉市を行き来していた。時間をかけて二拠点生活を送ったことで、徐々に環境の変化に慣れたのかもしれないと有加さんは振り返る。

移住前は地域との交流の機会があまりなかったという有加さんだが、子どもができてからは地域のイベントなどを調べるようになった。昨年は小美玉市の「おとのわークショップ」に参加。好きな楽器の練習をし、半年後に1曲を完成させて発表したという。イベントに参加したことをきっかけに、自身の音楽家とのつながりを活用して、誰でも気軽に参加できる地域のコンサートを考えたいなど、地域活動の参加にも意欲的になっている。

「不思議なんですが、子どもができたことで変わりましたね」と有加さんは笑う。

現在も働きながら子育てをしている有加さんは、「小美玉市は支援センターが充実しているので、子育てがしやすいんですよ。子どもがいると集中して仕事をすることが難しいので、センターに預けているんです。預けたい日の前の週に予約を入れるスタイルなので、調整もしやすく、とても助かっています」と話す。

下玉里地域の持続可能な未来に向けて

守さんがなぜこの地にこだわるのか。それは、何百年も続いてきた家を継いでほしいとずっと言われ続けてきたことにある。抗うことなく受け入れた守さんは、「ある意味洗脳みたいな感じですよね。時々しんどいなと思うこともありますけど」と笑う。

霞ヶ浦や筑波山を望む風光明媚な下玉里地域。

この地域の魅力をもっと発信し、活性化させていきたいという。

「ゲストハウスがうまくいけば、この地域に空き家を活用したカフェや、地元食材を使用したレストラン、宿泊施設、直売所、温泉などもできるのではないかと思うんです。このゲストハウスがきっかけとなって地域全体が活性化し、より魅力ある地域となり、みんなが潤っていけるようになればと考えています」。

都会で生まれ育ち団地に暮らした経験や、子どもの頃に訪れ感じていたこの地域の魅力、代々続く歴史を受け入れつながった縁。全ての巡り合わせが今、この地で動き出している。

移住者としての視点をもつ櫻井さん夫妻。地域がもつ魅力を最大限に活かしながら、新しいアイディアとチャレンジで、持続可能な地域となるようアプローチをしていくのだろう。

櫻井守さん
大阪府堺市出身。18歳の時に父親の生家がある小美玉市(旧玉里村)にIターン。筑波大学に入学し、飛び級で大学院へ。MBAを取得し、経営に関する知識を身につける。大学院卒業後は金融系に就職し、後に証券アナリストとして独立。現在は電気供給業、不動産賃貸業、IT業など幅広い分野の事業を営む。

妻・有加さん
2014年に守さんと結婚。埼玉県の実家が営む音楽教室で働きながら、埼玉県と小美玉市の二拠点生活を続ける。2021年、子どもを授かったことを機に小美玉市へ移住。音楽教室の企画・運営を続けながら、守さんの事業にも携わっている。

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